ブログ引っ越しました。あたらしいブログは「新・渡辺家のお食事‐ベジ、時々さかな」です。 クリック!!










2008年4月30日水曜日

大塚物語9「ふとん交換について」

大塚アパート(仮名)の管理人の最大の仕事のひとつは、6か月に一回の「布団交換の立ち合い」であった。大塚アパート(仮名)の各部屋は3畳の居住スペース、プラス1畳の寝るスペース(高さは半分)しかなかったので、布団は24時間セブンデイズ敷きっぱなしの万年床であった。布団は敷かれてから6ヶ月間そのままの形でそこにあった。あまりメジャーではないけれども世の中には貸布団屋さんという商売があって、大塚アパートには6か月に1回、貸布団屋さんがやってきた。貸布団屋さんが来る日は2、3週間前から住民たちに告知され、その日になるとアパートの住人はかならず出勤前に自分の布団を廊下に出しておかなければならなかった。布団交換は住人達の雇用主である警備会社が貸布団屋さんに依頼してとりおこなっていた。この日に布団を出し忘れると次に交換してもらえるまでさらに6か月待たなければいけなかったので、忘れる者は誰もいなかった。というより、その日を心待ちにしていた。人間は一晩に200mlの汗をかくので6か月分、つまり360kg分の汗やその他もろもろのエキスを吸いこんだ養分たっぷりの布団が10組廊下に並び、布団屋さんはそれを片っ端からトラックに運んで、代わりに新しい布団を置いていった。「不幸」は例えば地獄絵のように具体的に描けるけれども、「幸福」はビジュアルに出来ない、キリスト教会の天使の舞う天井絵を見ても別に幸せな気持ちにならない..という話を聞いたことがあるが、半年待ち焦がれた新しい布団は見た目はパリッと、触るとこのうえなくフワフワで、アパートの廊下の各部屋の前にキレイに積んである様子は「幸福」のビジュアルそのものであった。写真は柿の種を埋めたら生えてきた新芽。

2008年4月29日火曜日

大塚物語8「風呂屋について」

大塚アパート(仮名)にはフロがなかったので風呂屋に通った。風呂屋は徒歩圏に3軒あって、それぞれ定休日と終了時刻が違ったので、どの風呂屋にも行った。風呂屋にはそれぞれ主張があって、雑誌や新聞を置いてあったりなかったり、洗面器がケロリンだったりケロリンではなかったりしたが、一番大きな違いは「お湯の温度」であった。一概に銭湯のお湯は熱い。慣れるまで入れないくらい熱い。熱くて文句を言う客はいないけれども、ぬるくて文句を言う客はいるのだと思う。雑誌も新聞も置いていなくて、洗面器がケロリンでなくて、お湯が最も熱い風呂屋には必然的に行かなくなった。最も良く行ったのはお湯が熱くなくて雑誌も新聞も置いているところだった。その風呂屋の番台には推定120歳くらいの老婆が座っていて、風呂代を受け取ったり石鹸を売ってくれたりした。ゴーストライターはソウルで銭湯に入っていて洗面器で下着を洗っていたら店の人にどやされたことがある。韓国語だったので全然何を言っているか分からなかったが、どやされていることも、銭湯で下着を洗ってはいけないことも理解できたし、申し訳ない気持ちになって店員さんにその気持ちを伝えようと思ったが韓国語が喋れなかった。しょうがなくて反省した感じの目をして店員さんを見つめたけれども、裸だと韓国人も日本人も見た目が一緒で「ごめんなさい、私は旅行中の貧乏な外国人でどうしてもここで下着を洗いたかったのです」という想いが伝わることはなかった。大塚の風呂屋には中国語の新聞が置いてあって、見た目が一緒のおっちゃん達の何割かは中国から来た人達なのであった。

2008年4月28日月曜日

大塚物語7「床屋について」


大塚の街には酒屋と理髪店がやたら多かった。酒屋は大塚アパート(仮名)から半径300メートル以内に3~4軒あったし、理髪店はもっとあった。理髪店は入口に赤青白の回転灯があってレースのカーテン越しに中をのぞくと重厚な理髪イスが3つ並んでいるような原風景のような床屋さんであった。ゴーストライターはある日その一軒に入った。むかしながらの床屋さんは、ぎりぎりまで熱い蒸しタオルやヒゲのそり方や軽くやってくれるマッサージまで夢うつつになるくらい心地よいのであった。しかし整髪も終盤に近づいた頃異変は起こった。その理髪店に馴染みの客と思われる年配の男性が入ってきた。男性は耳の上のわずかな部分を除いて毛髪がなかった。男性は慣れた感じで理髪イスに深く座り、店の親父さんも慣れた感じで男性の髪の毛を切った。あんまり切るとなくなってしまうのでハサミを頭の周りでカシャカシャ動かしている感じであった。ひとしきり仮想頭髪をカシャカシャ切ったあと、親父はおもむろに「分け目はいつものとおりで」と男性に訊き、男性は「うん」と言った。分け目に当たる部分には毛髪は皆無だったが、親父はおもむろにクシを出して仮想頭髪に仮想分け目を入れた。すごかった。職人の極めた技であった。道を極めた達人は髪を切らずに散髪をするのであった。ゴーストライターは、男性が入っていた時に「金がもったいない」と思った自分を恥じたのであった。今日は「マントラ」の豆カレー。

2008年4月27日日曜日

陶芸


 向島器林という陶芸工房にお邪魔しました。渡辺トモコの古い友人で、ゴーストライターと同郷の関西出身の陶芸家の営んでおられる工房で、ものすごく大量にヤマイモが入っていて信じられないくらいおいしいお好み焼きを作って食べさせて頂いたのですが、まあそれはさておき、素焼きを終えた陶器(前回お邪魔した時に土をこねて成形したもの)にウワグスリを付ける、という作業を体験した。土をこねて成形したときもかなり楽しかったが、ウワグスリは想像を絶して気持ちよかった。薄ムラサキの液体とピンクの液体に素焼き済みの陶器をどぷっとひたし、3秒で引上げる。陶器は薄ムラサキとピンク半々のきれいな色になり、これを本焼きするとなんと漆黒とグリーンの半々になるのである。工房の陶芸教室はものすごく楽しそうである。


2008年4月26日土曜日

大塚物語6「続・借金取りについて」

きのうのブログを読んで、渡辺トモコから指摘があった。借金にまみれているのはスミヨシさん(仮名)だけではなく、アパートの住人ほぼ全員がそうだったそうである。渡辺トモコはわたしよりずっと深く住人達の生活に関わっていた。そういえば、郵便受けには弁護士事務所からの(督促状の)お手紙が定期的に入っていたし、経営していた飲食店がツブレて借金を抱えているらしいひともいた。しかしそれにしてもみんな明るく生活していた。借金があると気持ちが暗くなるというのは偏見というか思いこみである。彼等は、そのへんの会社でグチを言いながら働いている普通のサラリーマンたちよりずっと楽ちんに生活していた。借金というのは、住所があると追って来るものだということがわかった。 写真はボワ・ド・ヴァンセンヌの「野菜とハムのバゲット」

2008年4月24日木曜日

大塚物語5「借金取りについて」


大塚アパート(仮名)の各部屋のトビラは薄い木でできた引き戸で、鍵はトイレの鍵のような、くるっと回してカチッと閉める簡単なものだった。誰もいない時間に人が入って来てトビラを叩き壊してモノを盗もうと思えばいくらでも出来た。だから管理人が必要だったとも言えるのですが、わたしが泥棒だったらいくらなんでももう少し金目のモノがありそうなアパートを選んだと思う。手ぶらだとひったくりに会わないのに似ている。住人達の部屋は3畳しかなくて、トビラをあけて3歩で部屋の一番奥のガラス窓まで行くことが出来た。部屋には例外なく中央にちゃぶ台があって、窓際にTVがあって、布団を畳んでいれる場所はないので必然的に敷きっぱなしであった。管理人室はその3倍くらいの大きさだったが、トビラは同じ薄さだった。管理人室のトビラの横にはピンク電話があって、かかってくる電話はすべて住人達の会社(警備会社)か、消費者金融の方からの電話で、消費者金融からの電話はすべてスミヨシさん(仮名)あてであった。「スミヨシさん(仮名)いますか?」と意外にやさしい声でそのひとは言った。スミヨシさん(仮名)を部屋に呼びに行くと、彼は意外なほど高い確率で電話に出た。「はい、はい、はい」とスミヨシさん(仮名)は素直に返事をして、電話はまた何日かするとかかってくるのであった。ピンク電話なんか置かなければいいのに、と思ったが住人の携帯電話番号は絶対秘密なのだった。

2008年4月23日水曜日

大塚物語4「壁の薄さについて」


古い木造アパートの常として、大塚アパート(仮名)は尋常ではなくカベが薄かった。押入れの背板くらいの厚さのべニヤ版だったかもしれない。しかし薄いのはカベだけではなかった。渡辺トモコとゴーストライターが管理人として入居して2、3日目の早朝、部屋がブイー、ブイー、と振動した。ブイー振動ははたして真上のへやの住人の携帯電話のバイブレーションであった。彼はこの壁の激薄なアパートで誰にも迷惑をかけないように目覚まし時計の代わりに携帯電話のバイブで目覚めており、サイレントモードであるはずのバイブ音はアパートの床を越えてぼくらを目覚めさせるのであった。管理人として、そんな彼に「ちょっとうるさい」ということはとても出来なかった。画像はベランダの花。続く。

2008年4月21日月曜日

大塚物語3「掃除について」


大塚アパート(仮名)ではキッチンとトイレが共有スペースであり、共有スペースの掃除は管理人(=渡辺トモコとゴーストライター)の仕事なのであった。渡辺トモコは我々の部屋の掃除を担当したので、実際それはゴーストライターの仕事であった。掃除は週末に行われた。大塚アパート(仮名)のキッチンにはだいたいいつも3~4匹の巨大XXブリがいてゆったりと触手を動かしていたので、掃除は窓を開けて彼等に出ていったもらうところから始まった。流し台とガスコンロは一週間分の生ゴミ汚れとオイル汚れでギラギラしていたので、ゴーストライターはゴム手袋とタワシとスポンジと大量の洗剤で武装しあらゆるところを磨いた。アパートにはもちろんドブネズミもいて生ゴミをとんでもないところ-食器棚のうえとか、冷蔵庫と壁の隙間とか-に置いていったので、それも片づけた。キッチンが終わったら、次はトイレであった。トイレの掃除をする前にゴーストライターはマザーテレサや野口英世やガンジーのことを考えた。自分も偉人達のように他人のために自己を捨てて精いっぱい尽くそうと思った。心の準備が出来てから専用のビニ手を着用し、専用のスポンジを右手に持ち、息を深く吸い込み、扉を開けた。食事中の人がいたらここでブラウザを閉じてほしい。扉をあけると、そこには10人×一週間分のほとばしる飛沫と、時にはなんというかその固形物もあった。いつだってオレは本気だったので、トイレはピカピカになったですが、半日もすれば元通りに恐ろしい小部屋に戻っているのであった。

2008年4月20日日曜日

大塚物語2 「住民について」


大塚アパート(仮名)には、管理人室以外に部屋が10部屋あり、住民は各部屋に一人ずつ住んでいた。彼等は全員、工事現場の警備員であった。正確に言うと、大塚アパート(仮名)は、とある警備会社の寮であり、彼等はそこで働く警備員なのであった。工事現場の警備員の朝は非常に早い。工事は始まる時間には既にLED警備棒を振っていなければならない。朝早い工事現場の人たちよりもっと早く出勤していなくてはいけない。そんなに早いと電車がない。電車がないので都心である大塚に住み、4時とか5時に自転車で出動していくのであった。彼等は(まあ当然)全員男で、決して裕福ではなく、独身または出稼ぎで東京に来ているひとなのであった。普段はあっさりした良いひとで酒が入るとギラギラに豹変する南国出身のおじさんも、メガネをかけたなぜか公務員ふうのひとも、絶対に言葉をしゃべらない小柄色黒激やせの青年も、なにがあっても笑顔を忘れない聖人君主のような人もいた。でもぶっちぎりでキャラが立っていたのは料理好きな赤ら顔のおじさんであった。赤ら顔のおじさんは陽気で愛想が良く、酒癖が悪くてアメリカと戦争をしたアラブの国の大統領に似ていた。おじさんは酔うとTシャツとブリーフというスタイルでキッチンでビールを飲むので細心の注意が必要であった。さらに続く。写真はヒメマルカツオブシムシ(小さい)。

2008年4月19日土曜日

大塚物語1


その木造アパート-大塚アパート(仮名)-は護国寺というお寺の裏手(住所は大塚)にある人家密集地帯の割と大きめの家の敷地内に建っていて、渡辺トモコとゴーストライターはその管理人として住み込むことになったのであった。木造二階建て風呂なし、トイレ・キッチン共同、アパートに入るときはクツを脱ぐというスタイルで、管理人室は4.5畳と3畳の部屋が1畳の板の間をはさんでL時型に並んだ部屋で、アパートの1階、入口の隣にあった。部屋の前にはキッチンがあり、キッチンの前にはピンク電話があった。大塚アパートには住所がなかった。母屋=大家さんの家に番地はあったのだが、アパート独自の番地はなく、「何号室」という区別もなかった。郵便物はピンク電話の脇の状差しに入れられ、各自が部屋に持ち帰った。管理人室以外の部屋の広さは3畳で、ベッドスペース1畳分あった。1畳分のベッドスペースは、高さが半分-つまり隣の部屋どうし上下に入れ子になっているのであった。遠い時代の話に聞こえますが、わずか5年前のことである。管理人としての仕事は、住民が行儀良く生活するように「見張る」ことと、共有スペースの掃除をすることであった。続く。
写真はベランダのカモミール。




2008年4月17日木曜日

パン


フランスパン生地の食パンは渡辺トモコのバイトしている店のパンで、このうえなくおいしい。もちろん今まで食べた食パンのなかでぶっちぎりに一番おいしい。1斤2山380円。いちど食べてみた方がいいです。ここまでちゃんとおいしいパンは、お酒にも合う。おいしいパンを買ったらお酒を飲みましょう。ここのパン屋はブレーク寸前。今日はこれだけ。またちゃんと「大塚物語」やります。

2008年4月15日火曜日

手打ちそば「もみじ」-後編

「もみじ」を切り盛りする朴訥な感じの青年は、丁寧にぼくらのオーダーを聞いてくれた。ぼくらがお酒を頼んだのでまず付き出しのそばスナックを出してくれた。私達にとってそば屋は酒を飲むところであった。「そば焼酎のそば湯割り」を飲み、「卵焼き」と「おつまみてんぷら」と「厚揚げ」を食べ、そして最後に「そば」を頂いた。
朴訥な感じの青年が作った料理はじつにおいしかった。卵焼きは甘口でとろっとおいしく、おつまみてんぷらはカリッと香り高く、そばは太さが不均一で、噛み切れないような弾力のある、手打ちのそばであった。その強固な入りにくさのせいか他に客はおらず、料理もお酒も実においしかったのでこころゆくまで楽しんだのであった。はたして料金はボッタクリどころか大変良心的で、その怪しいビルの家賃の安さを物語るものであった。場所は都電の東池袋4丁目のホーム脇、東京メトロ有楽町線東池袋駅の真上、目印はくすんだオレンジ色の「もみじ」の看板。同じビルの2階より上には本物のスナックがあり、こっちはホンモノっぽいので好奇心でトライしない方がいいかも知れない。 写真は大塚付近の都電停車場。

手打ちそば「もみじ」-中編


ゴーストライターは東南アジアの謀国のボッタクリ暴力バーに行ったことがあって、そこれでは氷の入ったコーラを一杯飲んだだけで20万円の請求書が現れた。20万円はすごいなあ、とおもっていると同行の日本人男性が果敢に抵抗してくれたりした結果、3000円くらいになった。それでも高いのですが「じゃあ最初に20万円て言うなよ」と思わないでもない。こんなところでも「微笑みの国=タイ」はなんとなくユルイのであった。ところで東池袋の限りなくボッタクリ暴力バーにしか見えないそば屋の話に戻りますが、渡辺トモコと私は、どうしてもその美味いと評判のそばが食べたくて、というのはウソで、身を滅ぼす種類の好奇心から、手打ちそば「もみじ」のドアに手をかけた。店はとんでもなく狭く、ものすごく小さいテーブルにイスがふたつと、1メートルくらいしかないカウンターにイスが3つくらい並んでいた。それは「場末のスナック」の間取りそのものであった。渡辺トモコと私はカウンターに座った。カウンターの中には120歳位の老婆がいて、暗闇からぼくらをじっと見上げていた。というのはウソで意外にも朴訥な感じの青年がひとりで切り盛りしていたのであった。後編に続く。

2008年4月14日月曜日

手打ちそば「もみじ」-前編


渡辺トモコとゴーストライターは数年前に大塚に住んでいたことがある。大塚はわりとディープな街で、八百屋の野菜が異常に安かったり、普通のスーパーに超レアなマッコリ(韓国の白濁したお酒)が売っていたり、徒歩圏にフロ屋が3軒もあるのにレンタルビデオは1軒もなかったりした。我が家から徒歩3分くらいのところに、都電の東池袋4丁目停車場があり、そのホームわきのスナックビルの1階にこの店があった。そば屋なのにボッタクリ暴力バーのような迫力のあるたたずまいで、まさかこの店に自分が入ることになるとは夢にも思わなかった。しかしなんとこの店はインターネットで「おいしいと評判」なのであった。渡辺トモコと私はある日意を決して歩いてここにそばを食べに行った。一歩ずつ近づくほどに「入りたくない」感が増大するすごい店であった。中編に続く。

2008年4月13日日曜日

まいたけ


イギリス在住で古い知人である若い日本人女性と話す機会があった。彼女の住むロンドンのスーパーでは日本の食材がどこまで手に入るか、という話をした。ゴーストライターや渡辺トモコが住んでいたカナダでもスーパーで日本の食材を探し求めた経験があり、興味ある話題であった。どちらの国でもトウフやダイコンはもちろんのこと、納豆やポン酢ショウユやカイワレダイコンまでちゃんとある。オタフクソースなんかもあった。ただし野菜や魚の生鮮食品は意外と限界が低くて、たとえばシタケとエノキはあって、シメジやマイタケは(少なくともバンクーバーのそのへんのスーパーには)なかった。
カナダのスーパーではレジでお金を払う前に商品を「食べる」ひとが少なからずいた。牛乳パックを開けて飲み、ポテトチップスを食べ、レジのひとは気にするふうでもなく開封されたパッケージのバーコードをピッと読み取り、ちゃんとお金は支払われるのであった。しかし問題はバナナであった。レジの人は食べかけのバナナを見て軽いため息をつき、「バナナを食べてはいけない、ビコーズ、私が重さを計れなくなってしまうから」と言い、食べたカナダ人は困った顔をして「オウ..」というのであった(彼等はこれくらいのことではソーリーとは言わない)。一見完璧に見えるスーパーの清算システムの盲点を突いた確信犯的犯罪であった。マイタケは渡辺トモコの作品の一部。

2008年4月12日土曜日

おやすみ



きょうはお休みです。かっぱメイキング画像でお楽しみください。

2008年4月10日木曜日

ビアグラス


このグラスは「シメイ」というベルギービールのグラスで、ワイングラスよりがっしりした作りと、口広の形状にいろいろこだわりがありそうなものですが、がばっと大きいので一気にビールを注いでもあふれなくて楽ちんなのでいつも使っている。初めてビールを飲んで「ものすごくまずい」と思ってから20年以上たって、やっと「ビールは摂氏5℃くらいがおいしい」という意味がわかってきたような気がする。ひょっとしたら「生ビールは注ぎ方によっておいしくなる」とか「泡がおさまるのを待って2回に分けて注ぐとおいしい」とかも本当かもしれない。ビールの写真はしあわせの写真だ。

2008年4月9日水曜日

いちじく



冬の間に通販で買ったいちじくの苗木から葉っぱが生えてきた。枯れ木のような棒きれから小枝とか新芽ではなくていきなり葉っぱというのが斬新。どうせならいきなり幹からいちじくの実が生えてきたらもっと良かったのにと思うがぜいたくは言えません。それにしても愛想の良い形の葉っぱである。

通販サイトでこれを選んだ時はもちろん「実をいっぱいにつけたいちじくの木」の画像を見てクリックした。しかし送られてきたのは細い縦長の段ボール箱で、「まさかこれが」と思って開けてみたら直径2cmくらいの木の棒が入っていて、さすがに一瞬「これはだまされたのではないか」と思ったけれども、果樹の苗木の販売というのはそういうものなのであった。しかしこの超スローペースで育つと、いちじくが食べられるのはいつになるんだろう。

2008年4月8日火曜日

フリマ


引越しをよくするのでフリマに出店する機会が多い。今回の会場は近所だったのでキャスター付きのカバンに売り物を詰めて歩いて行った。フリマに出店しているヒトは2種類に分かれる。不要なものを処分しに来たヒトと、ちゃんと利益を上げに来たヒトである。「不要」のほうのひとのお店にはあんまりたいしたものが並んでいないけど、設定価格が安いし値切れるとまけてくれる。欲しいものが見つかったら大ラッキーである。「利益」のほうのお店は品物が選ぶくらい揃っていて、欲しいものがちゃんとあって、でも値段が高い。売るものがあまったらあまっただけ持って帰る人たちなので、安くしてくれない。我が家は「所有物は少なければ少ないほどよい」という考え方なので、フリマに出店する時は「完売」が目標である。どんどん値下げして最後はまとめて叩き売って、周りのお店より早く、だいたい3時か4時には閉店して帰る。フリマに出すものに「いくら以上で売らないともったいない..」という感傷は禁物である。一日が終わって、売り上げがいくらあったか、が大切である。売り上げが同じならひとつでも多く売れた方がいい、というビジネスの常識を覆すクレイジーなスタイルである。でもそうしないと家にはフリマで売れなかったものが溜まっていってしまう。天気が良いとフリマは楽しい。モノさえあればすぐまたやりたい。

2008年4月7日月曜日

生野菜サラダ



パン生地をこねるような大きなボウルで入っているのは生野菜サラダである。ミズナ、キュウリ、トマト、セロリ、ピーマン、白菜、という妥協のない野菜チョイスで、がさっと取り分けてばりばり食べる。生野菜は最小限のカロリーで満腹になり、毎日こればっかりだと栄養が偏りそうですが、ときどき食べる分にはたいへんよいと思う。これに冷奴とフランスパンとオーガニック・ビール。一分の隙もないです。オーガニックビールはよなよなエールの会社が作っていておいしい。

よなよなエールの公式サイト(へんなサイト)http://www.yonasato.com/

2008年4月6日日曜日

チャパティ2


昨日お邪魔したインド人宅ではもちろんチャパティだけではなくカレーを5種類もごちそうになった。ぜんぶベジだから偉いもんである。右上から時計回りにヒヨコ豆カレー、ニンジン+ジャガイモ+グリーンピースのカレー、レンズ豆カレー(2皿連続)、オクラ+タマネギカレー、野菜ピラフ。これを全種類腹いっぱい食べられて、心から幸せであった。彼がいろいろ作るところをほぼ全行程見ていた。誤解を恐れずに言い切ると、一概にタマネギとクミンシード状の挽いていないスパイスを最初に炒め、炒まったらタマネギ以外の野菜をいれてさらに炒め、ガラムマサラやターメリック、唐辛子、コリアンダシード(粉)、カルダモンなどの「挽いてある」スパイスと塩は最後に入れる。この時点でカレーはペーストになっていて、ピラフやサブジのベースになったり、水を足してスープになったりする。
ところで、見たことも聞いたこともないスパイスを彼の家で発見した。アサフェティダといって、彼はレンズ豆カレーに入れた。そうするとレンズ豆カレーはダルスープの味になったので(ダルスープは緑豆で出来ている)、きっとダルスープにはこれが入っているのだろう。どうやっても作れなかったはずである。
しかしアサフェディダは激しく微妙な香りがしたのであった。

2008年4月5日土曜日

チャパティ

 チャパティはどうして焦げ付かないんだろう?とずっと思っていましたが、今日インド人のかたがチャパティを作るのを間近に見てその謎が解けた。ナンは生地に油を練りこむので窯に焦げ付かないのですが、チャパティは(油を使うものをチャパティと呼ぶこともあるけれども)、まったく油を使わないのに鉄板の上で焼く。答えは実に簡単だったのですが、小麦粉を水でこねて、丸く延ばして、フライパン(本当は専用の丸い鉄板を火にかける)にのせる前に粉をまぶすのでくっつかない。そんなのは普段料理をする主婦の方とかだと当然のように知っているのかもしれませんが、目からウロコが落ちる思いであった。しかしさらにブックリしたのはその後であった。彼は両面が軽く焼けたチャパティをフライパンから持ち上げ、フライパンをコンロから離し、チャパティをコンロの炎の上に載せた。するとチャパティはプーッと膨らんで、しかも直火であぶられて、ああ..これだよこれ..という焼き色になった。これは心を揺さぶられたので今日は動画です。

2008年4月4日金曜日

イカ



イカの身に長ねぎのみじん切り、みそ、お酒を和えた詰め物をして、フライパンで炒めたもの。長ねぎのみじん切りは一部イカと一緒に炒めて、焼きあがったイカにのせる。イカの身はやわらかく、詰め物はおいしかった。カナダで「カラマリ」というギリシャ料理が大ブームになっていた。外食をほとんどしなかったので、それはいったい何だろう?と長い間思っていて、ついに食べてみたら、「イカリングフライ」であった。考えてみると彼等はイカはめったに食べないし、イカリングフライも身近にないので、見慣れない感じの、でもとっつき安い味の外国料理としてヒットしたのだと思いますが、日本人から見るとやっぱりイカリングフライ以上のなにものでもなかった。しかしカナダはアメリカ文化圏なので「揚げモノ」がすごく上手であった。味付けしたコロモと大量のガーリックソルトで「カラマリ」は大変おいしいのであった。イカの風味がして、ゴハンが欲しくなった。

フライド・カラマリ:http://academic.uofs.edu/student/TAGLEM2/calamari.html

2008年4月3日木曜日

スプラウト


ブロッコリーだと信じてスプラウトのタネを植え、5cmくらいに伸びた先端にブロッコリーぽい塊が出来たので、大きくなったら食べようと思っていたら、まっすぐ上方向に成長して菜の花になった。黄色くてきれいである。菜の花だと知っていたら伸びて花が咲く前に収穫したかもしれない。
ここは渡辺家のベランダである。渡辺家のベランダの良いところは、屋根がないところである。イスを置いて座ると視界の半分くらいを青空が占める。すでにスタバふうの深緑のパラソルと、ぐらつかないパラソル台(重要)と、木のイスがあって、テーブルも入手予定。季節も良くなってきたしいよいよである。本当はヤシの木があるといいのですがいまのところしょうがない。

2008年4月2日水曜日

豆乳みそしる


写真後方、お椀に入った白濁する汁モノは「豆乳みそしる」である。作り方は簡単、みそしるのお湯の代わりに豆乳を使う。我が家には即席みそしるもある。ゴーストライターが仕事にお弁当と一緒に一食ずつ持っていくからですが、最初に大きな箱で買った即席みそしるを最初に食べた日に、お湯をお椀なみなみに入れたら「塩味が薄い」と思ったので、次の日からはお湯を七分目にした。
 次に箱で買ったのは「減塩即席みそしる」で、最初の日は「これは薄くておいしくない」と思ったけどまあそれはそういうものなので、一か月くらい薄いみそしるを毎日食べた。
 その次に買ったのは最初に買ったのと同じ、減塩じゃない普通のみそしるで、七分目お湯を入れて飲んだら「塩辛い」と感じた。その日はお湯を足して飲んで、次の日からはなみなみお湯を入れて飲んだ。
 ヒトはすぐに塩辛い食事に慣れて薄味に物足りなくなるけれども、逆も意外と簡単である。そういえば仕事中、午後3時ごろに缶コーラを飲んだことがあって、コーラなんて年に一回も飲まないのに、次の日も飲んで、さらに次の日の午後3時に、「どうしてもコーラが飲みたい」と思っている自分に気づいてびっくりした。ものすごい習慣性であった。

2008年4月1日火曜日

にんにく


アボガド発芽用に買った球根ツボですが、アボガドをひとつやめてにんにくを入れたらすごい生命力で生えてきた。写真に撮るとアボガドにまったくやる気がないように見えますが、べつに時間がかかってかまわないのでゆっくり育ってほしいです。今日はこれで終わり。



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