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2008年9月21日日曜日

南の島 4


「小笠原丸」は浜松町駅ちかくの竹芝桟橋から25時間30分かけて父島まで航行する。パンフレットの写真をみると2等船室は大部屋に並んだ寝床にはたっぷり隙間があって「これならOK」だったのですが、乗ってみると隣のヒトの寝床との間隔は15CMくらいであった。乗る人が多ければ間隔が狭くなるという理屈は理解できたのですが、ものすごく狭かった。ゴーストライターはインドで列車に乗ったときのことを思い出した。指定券を買った私のベッド(昼間はベンチになる)にはインド人の家族=お父さん+お母さん+子供2人+赤ん坊が座っていてゴーストライターを見上げた。ゴーストライターはちょっと申しわけない気持ちになりながらお父さんと子供の間にグリグリ座らせてもらった。人々は通路にもぎっしり、頭上の2段ベッドにもぎっしり、さらに網棚にもぎっしり、実は屋根の上にもぎっしり乗っていた。トイレに行って戻ってくるのに1時間くらいかかった。「起きて半畳、寝て一畳」という状況が夢のように思えた。列車が駅に止まるとチャイ売りがムリヤリ乗ってきて、私を含めた人々はチャイを買って飲んだ。チャイ売りは魔法瓶にたっぷり入ったチャイをアクロバット的な姿勢で質素な素焼きのカップに注いでくれた。そんな極限状況でも外国人であるゴーストライターはチャイ代をぼったくられそうになった。2ルピーのチャイに5ルピー札を出したらお釣りが2ルピーしかなくて、それが間違いであることを主張してお釣りを3ルピーにしてもらうのに長い長い時間がかかった。原始的な素焼きのカップは使い終わると窓から投げ捨てられてそのまま土に還った。夜になるとお母さんは赤ちゃんをそっと床に寝かせ、自分はその横に座って赤ちゃんを見つめた。ベンチのお父さんと子どもたちとゴーストライターも赤ちゃんを見ていた。安らかに眠るインド人の赤ちゃんは宝石のように美しかった。夜が明けて目的地に着いたら一刻も早く宿を見つけてベッドにもぐりこめるはずが、列車はめちゃくちゃに遅れて予定を半日過ぎても到着する気配はなかった。貴重な経験をしたゴーストライターはインドで2度と列車の指定席券を買わなかった。



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