ブログ引っ越しました。あたらしいブログは「新・渡辺家のお食事‐ベジ、時々さかな」です。 クリック!!










2008年9月30日火曜日

南の島 9.



そしてそして美しいユウヤケであった。美しいユウヤケの条件は、1.赤いこと(オレンジ可)、2.がばっと風景が広くて視界に余計なものがないこと、3.今度いつ見られるか分からないこと、の3つである。だからクルマのバックミラーに鏡にうつるユウヤケがドキッとするくらいきれいだったりする。母島の集落は島の西側にあって、ユウヤケ三昧であった。

2008年9月28日日曜日

南の島 8


渡辺トモコによると乳房山登山道は亜熱帯植物の宝庫であった。ヤシの木とかシダとかソテツとかパパイヤとか、そのほかにも島固有の木がたくさん生えていた。トロピカルな植物のシルエットはぎらぎらの太陽と入道雲によく似合っていた。旧日本軍の砲台や塹壕跡があった。でっかいタニシのようなカタツムリや、(ぬけガラが無数に落ちていた)鮮やかな緑色のトカゲや、野ネコ(ノラ猫でもヤマ猫でもなく、野生化したネコ)がいた。野ネコ以外は外来種で、天敵がいないのでものすごい勢いで繁殖したらしい。南国の動植物は生命力いっぱいに育っていて、なんというかとてもきれいであった。

2008年9月26日金曜日

南の島 7

母島の一番高い乳房山に登った。1時間くらいかけて登る山で亜熱帯の植生の中を歩いていくようなちょっとほかで体験できない山であった。母島は南北に細長くて、西岸には人が住む集落や道のある入り江があって、東岸には集落がなくて道のないビーチがいくつもある。東岸を見るにはボートに乗って海から見るか、乳房山に登って頂上から見下ろすしか方法がない。乳房山の頂上には東岸を見下ろすための、崖に突き出したデッキがあって、デッキの先端まで歩いていくと眼下の風景はすさまじく、太平洋から吹き上げる風は信じられないくらい心地よかった。風景と海風を満喫して振り返ると、西岸の海が見えた。このデッキを作った人はえらい。こんなに気持のよい場所は世界中ほかにちょっとない。ピピ島の波打ち際のビーチバーの足もとが砂で頭上にはヤシの木と星空がひろがり、流木のテーブルにはピニャコラーダがあってああこれは世界でいちばん心地よい場所だと思ったことがありましたが、それと同じくらい気持ちよかった。

2008年9月24日水曜日

南の島 6

 渡辺トモコとゴーストライターはスノーケルと水中メガネを持っていて、足ひれさえあればどこでもスノーケリングが出来る態勢にある。スノーケリングで水に入ってキレイかどうかはサンゴがたくさんあるかどうかによるのですが、サンゴがあるかどうかは水の外から見てもなかなか分からない。写真はダイブショップのひとに教えてもらって、足ひれとクルマをレンタルして行った母島北端の入り江で、見た感じでは全然わかりませんが、絶好のスノーケリングポイントであった。砂浜から水に入ろうとするともうカラフルなお魚が見え、教えられたとおりに右岸に沿って進むとぎっしりサンゴがいて、パンをちぎって与えるとイシダイくらい大きさの熱帯魚がうじゃうじゃと集まってきて夢のように楽しかった。小魚の大群の中を泳いだし、ウニもナマコもエイもハコフグもシャコガイもいた。島でクルマに乗るのはちょっとカルチャーショックだった。ドアに鍵はかけず、キーは差しっぱなしで、ガソリンスタンドは1件だけでガソリンは1リットル300円だった。当然レンタカー登録しているクルマ(「わ」ナンバー)ではなくレンタル料金もざっくり一日5,000円であった。

2008年9月23日火曜日

南の島 5


母島のダイブショップのボートスノーケルツアーでいるかをたくさん間近で見た。父島だといるかといっしょに泳ぐツアーをやっているダイビングショップがありますが、母島にはなくてボートから見るだけ。同行したショップの人が「いるかはいつまで見ていても飽きないですよね」と言っていたけど、不思議なくらい本当にその通りである。サメやシャチは形も動きも恐いかんじですが、いるかは優しい。触ったら柔らかそうだし、「絶対に噛まない」安心感がある。すごくいるかスイムがやりたくなった。海面からではなくて水中で横とか下からいるかを見たい。

2008年9月21日日曜日

南の島 4


「小笠原丸」は浜松町駅ちかくの竹芝桟橋から25時間30分かけて父島まで航行する。パンフレットの写真をみると2等船室は大部屋に並んだ寝床にはたっぷり隙間があって「これならOK」だったのですが、乗ってみると隣のヒトの寝床との間隔は15CMくらいであった。乗る人が多ければ間隔が狭くなるという理屈は理解できたのですが、ものすごく狭かった。ゴーストライターはインドで列車に乗ったときのことを思い出した。指定券を買った私のベッド(昼間はベンチになる)にはインド人の家族=お父さん+お母さん+子供2人+赤ん坊が座っていてゴーストライターを見上げた。ゴーストライターはちょっと申しわけない気持ちになりながらお父さんと子供の間にグリグリ座らせてもらった。人々は通路にもぎっしり、頭上の2段ベッドにもぎっしり、さらに網棚にもぎっしり、実は屋根の上にもぎっしり乗っていた。トイレに行って戻ってくるのに1時間くらいかかった。「起きて半畳、寝て一畳」という状況が夢のように思えた。列車が駅に止まるとチャイ売りがムリヤリ乗ってきて、私を含めた人々はチャイを買って飲んだ。チャイ売りは魔法瓶にたっぷり入ったチャイをアクロバット的な姿勢で質素な素焼きのカップに注いでくれた。そんな極限状況でも外国人であるゴーストライターはチャイ代をぼったくられそうになった。2ルピーのチャイに5ルピー札を出したらお釣りが2ルピーしかなくて、それが間違いであることを主張してお釣りを3ルピーにしてもらうのに長い長い時間がかかった。原始的な素焼きのカップは使い終わると窓から投げ捨てられてそのまま土に還った。夜になるとお母さんは赤ちゃんをそっと床に寝かせ、自分はその横に座って赤ちゃんを見つめた。ベンチのお父さんと子どもたちとゴーストライターも赤ちゃんを見ていた。安らかに眠るインド人の赤ちゃんは宝石のように美しかった。夜が明けて目的地に着いたら一刻も早く宿を見つけてベッドにもぐりこめるはずが、列車はめちゃくちゃに遅れて予定を半日過ぎても到着する気配はなかった。貴重な経験をしたゴーストライターはインドで2度と列車の指定席券を買わなかった。

2008年9月20日土曜日

南の島 3




母島のはダイビングショップが一軒だけあって、なぜかイケスにウミガメの子供をたくさん飼っていた。孵化させてある程度成長したら放流するとのこと。それって援助金が出るような保護事業ですよね?とショップの人に訊いたら「出ます」と言われたけれども、そのあとで「ペンションの晩ゴハンに出ますよ、カメ肉」と教えられてちょっとびびった。「カメ肉を食するという独自文化を助成する援助金」が出るらしい。ショップで「子ガメ放流体験」をやっていたので参加した。参加した人が1、2匹ずつ子ガメを砂浜に置き、子ガメは波打ち際に向かって這う。明るい方向(自然界では海面は星や月の光を反射して、ほかの方向より明るい)に向かう習性があるので、ショップのひとがひざまで海に入ってライトを小ガメに向って照らしていた。小ガメは波にさらわれた後、24時間泳ぎ続けて安全な沖に出るらしい。すごい体力である。水族館で水底で眠るカメを見たことがある。サカナばっかり見た後だと一瞬気付かないが、カメは肺呼吸の動物であり、水底で眠るということは「息を止めて眠る」ということである。見ているだけで息苦しくなる光景でしたが、実際呼吸がものすごくゆっくりで、「息を止めて眠れる」らしい。すごい。カメは寿命もめちゃくちゃ長い。人間もゆっくり呼吸すると長く生きるというのが本当に思えてくる。

2008年9月18日木曜日

南の島 2


小笠原は美しいところでした。アオウミガメの子供を触って、1メートルの距離でイルカを見て、ヘゴとアダンとバナナとアボガドとマルハチの樹を見て、ヤシの葉に隠れる満月を見て、青空と入道雲と水平線の間で透明な海に飛び込み、エンゼルフィッシュとハコフグとエイとホンソメワケベラとブダイとそのほか色とりどりの知らないサカナにまみれ、サンゴを10種類くらい見て、海に沈む夕焼けを毎日見て、海の見えるテラスでよく冷えたモルツを飲んで9時に寝て6時に起きた。画像は船(父島と母島を結ぶ小さめのフェリー)から見たビーチ。

2008年9月10日水曜日

南の島


1年弱働いたので御褒美に木曜日から南の島へ行ってきます。空港のない小笠原諸島の父島まで大きいフェリーで丸一日、そこから小さいフェリーに乗り換えて母島まで2時間。6日間の旅程でなんと島の滞在は中2日というストイックなスケジュールで、台風でも来たらアウトである。でも何年も前から行きたい行きたいと思っていたところなので、「沖縄にしとけば中4日」とか「ハワイでも中3日」という雑念を振り払っていってきます。フェリーでどう過ごすかを今考え中で、候補はしりとり、バックギャモン、瞑想などですが、どれもしっくりこない。4人で行って水平線をバックに麻雀というのがひとつの理想ですが、2人なので不可。出発までになにかいいアイディアが浮かぶでしょう。画像はベランダの花。

2008年9月4日木曜日

ホット・ヨガ


ゴーストライターはホットヨガを体験した。レンタルタオル込みで90分、1,100円というもので、職場の古い友人が通っているホットヨガ・スタジオに連れて行ってもらった。軽い気持ちでトライしたホットヨガは恐ろしい苦しみを伴うものであった。友人は「私が『ヨガに行くのは気が重い』って言ってるわけがわかったでしょ?」と言ったし、ゴーストライターは終了後のアンケートに「しぬかと思った」とひとこと書いた。レッスンは90分で26ポーズ、結構速い動きでこなしていく。スタートして15分くらいで着ているものがすべて汗でびしょびしょになり、身体は芯から高温になる。2、3本買って持ち込んだペットボトルの水も生温かくなり身体を冷ます役に立たなくなる。20分を過ぎるころには身体を冷やす手段が「呼吸」しかないのに空気が熱い、体温がどんどん上昇していく、というヤバイ状態になり、しかしヨガのポーズは延々と続き、ぶったおれるので目を閉じないように、というインストラクターの指示が飛ぶ。90分が終わると身体は本当にぶったおれる寸前で、ゆっくりシャワールームまで歩き、一気に身体を冷やしたい気持ちを抑えて、ぬるま湯からだんだん水シャワーを浴びる。何回かやっているうちに身体が慣れて爽快感を得られるようになるのだろうけれども、ゴーストライターの場合は、人生の節目になるバンジージャンプのような体験であった。画像は渡辺家ちかくの散歩道に生息するカエル。

2008年9月2日火曜日

部分的断酒日記1.

最近ゴーストライターはいろいろためになることを始めた。根がモノグサなのでなにかタメになることを始めて継続するということは大変珍しいのですが、その珍しいことがたてつづけに起こっているのである。2ヵ月ほど前に思い立って「ダイエット」を始めた。これは単純でハラ12分食べていたのをハラ10分に減らすことを毎日続けたら週に1KGずつ体重が減っていき1ヵ月で本当に5KG減った。いまのところリバウンドもなく一応成功である。1ヶ月程前に「ブラインドタッチ(差別用語に区分されるいるらしい?)」の練習を始めた。恥ずかしい話ですがゴーストライターはキーボードを打つ時、ちらちら手元のキーを見ているのである。手元を一切見ずに背筋を伸ばしてキーボードをがんがん打っている人は大変かっこいいので、それがまあ目標である。これはまだ到達率50%くらい。さらに1週間前から「ジョギング」を始めてしまった。家の近くの川(なんと「神田川」である)沿いの遊歩道を朝6時半から20分ほど走るのである。日増しに呼吸が楽になるのがなかなか嬉しい。そしてなんと昨日から「部分的断酒トライアル」を始めた。「全面的」ではなく「部分的」で、しかも「トライアル」であるところが人間くさくて好ましいが、要はやっぱり飲みたいのである。ルールは「時々飲みに行くのはアリ」「自宅ビアパーティーはアリ」という、なんでもありフルコンタクト空手みたいなもので、期間は短めに3ヶ月である。しかも酒代として計上されていた月々数千円の予算は3ヶ月後にゴーストライターにまとめて報奨金として与えられ、ゴーストライターはそのお金で欲しかった自転車を買うという社会人とは思えない小スケールの御褒美設定まである。断酒2日目でこんなに偉そうなことを書いておけば「やめられないだろう」という計算のもとにこれを書いていますので、お付き合いください。私の大好きな中島らもの『今夜すべてのバーで』は中島らもがアル中で倒れて入院中酒を飲まず、そのまま断酒に成功するというただそれだけのことを感動的に綴った名作ですが、その後彼はやっぱり飲んだらしい。画像はこれも私の大好きな鳥肌実先生の名作ポスターである。



---------------------------------------------------------------